歴史とは有り難いものです。忘れられている日本の歴史をもう一度考えてみましょう。
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heiannzenn 様
▼平安前中期
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▽あくまで今国会断念で人権擁護法案は油断できない (2008/06/07 21:32:00)
http://www.mailpia.jp/r/www.feedremix.jp/load.php?item=2591&link=http%3A%2F%2Fgenyosya.blog16.fc2.com%2Fblog-entry-641.html
今朝の産経新聞で太田誠一が今国会断念という発言をしたとの記事が報じられました。
市民の連帯の事務局のなかでもほっとしたとの声があり、皆さんもそういう方がおられるかしれませんが、油断大敵だとい思います。
決して太田誠一・古賀誠ら推進派議員や背後にいる部落解放同盟や自由同和会などが諦めたのではないということです。
今日は北九州市で自治基本条例の勉強会がありました。終了後懇親会があり多少、お酒も入ってお
▽『+1フットボール・マッチ』面白かった!!Body ... (2008/06/07 21:37:00)
http://www.mailpia.jp/r/www.feedremix.jp/load.php?item=2591&link=http%3A%2F%2Ffxakiran03.blog98.fc2.com%2Fblog-entry-551.html
読者の皆様、こんばんは。
土曜日いかがお過ごしでしょうか?
今日は、昨日言っていた『+1フットボール・マッチ』を見てました。
中学3年からサッカーに興味を持ち、
その頃大活躍していた選手が出場していることが
何よりうれしかった!!
サモラノなんて40才越えていました。
年齢のせいか、あまり活躍してくれなくて残念・・・・
ですが、ダービッツはスゴイ!!
スピードや足さばき凄すぎです!!
日本はついて
▽・第二次不二越訴訟 朝鮮人の証言より ~暴かれた強制連行の嘘~ (2008/06/07 14:01:56)
http://www.mailpia.jp/r/www.feedremix.jp/load.php?item=2591&link=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Flancer1%2Fentry-10104001075.html
勤労挺身隊訴訟:深く刻まれた心の傷 羅さんにインタビュー /石川:毎日
◇涙ながらに半生語る
夢見て海を渡ったあこがれの日本は地獄でした--。太平洋戦争のさなか、「女子挺身隊」として朝鮮半島から強制連行され過酷な労働を強いられたとして、国と機械メーカー「不二越」(本社・富山市)を訴えた「第2次不二越訴訟」原告の1人、羅贊徳さん(79)が、控訴審第1回口頭弁論(先月28日)の証人として来日。毎日新聞のインタビューに答え、涙ながらに自らの半生を語った。後悔や後ろめたさにさいなまれ、深く刻まれた心の傷を今、見つめ直そうとしている姿があった。【澤本麻里子】
1944年3月、羅さんが15歳の時だった。村長から「日本にいい工場がある」と誘われた。書道や生け花なども教えてもらえるという。1カ月後、2年間の予定で地元から25人が旅立った。「両親は反対しましたが、技術を学んで、お金ももらえるという希望でいっぱいでした」と振り返る。
しかし、労働は過酷を極めた。「朝の8時から夜の8時まで休みなく働かされ、休日もありませんでした。機械の操作を誤って指を切断した子もいました」。粗末な食事。給料は支払われなかった。手紙は検閲され、苦しい状況を家族に訴えることもできなかった。
「1人が泣くと、みんなが泣きました」。日本語と朝鮮語で「いつか不二越去るでしょう」と願う歌を仲間と共に作った。今も覚えていると言って口ずさんだ歌は、哀愁の漂う心に染み入るようなメロディーだった。
ある日、父が亡くなったと電報が来た。「泣きながら帰りたいと訴えましたが、許されませんでした。『お前が帰ったって、父親は生き返るわけじゃない』と、冷たく突き放されました」。かわいがってくれた父の反対を押し切って日本へ来た後悔ばかりが残った。
「終戦直前、一時帰宅が許されました。母は私を見るなり、何も言わずに抱きしめて泣きました」。羅さんの目から大粒の涙がこぼれた。
戦後、結婚し、3人の子に恵まれた。だが、ふとした瞬間にあの過酷な日々を思い出す。家族には「挺身隊」を「慰安婦」と誤解されるのを恐れ、戦時中の体験は秘密にした。夫は00年に亡くなった。そんなとき、不二越の仲間と町で偶然再会。訴訟のことを聞き、闘おうと決意した。「強制労働の事実を認めて、きちんと謝ってほしい。それだけなんです」。まっすぐな視線で語った。
この不二越という会社が訴えられたのは実は二度目です。第一次不二越訴訟は、1992年に数人の朝鮮人と団体が訴えを起しています。一審、二審では原告敗訴。最高裁まで行きました。おそらくそのままでしたら、最高裁でも原告が敗訴し不二越側の勝訴で終わっていたと思われますが、2000年に和解金を支払うことを不二越側が決定し、裁判は終了しました。
これに味をしめたのか、私も不二越の被害者だったと、2003年に新たな原告団が結成され、再び同じ訴訟が繰り返されています。
おそらくこの毎日新聞の記者や証言をしている朝鮮人たちは、こんなに酷い目にあったのだ。日本政府や企業が訴えられるのは当たり前だ。とでも言いたいのでしょう。しかし、この記事の文章におかしな点がたくさんあることにお気づきでしょうか。
まず、記事の冒頭に”「女子挺身隊」として強制連行された”。とありますが、この羅という人の話によると、村長から「日本にいい工場がある」と誘われたとあります。しかも、「両親が反対した」とありますので選択の自由もあったのでしょう。明らかに、同じ朝鮮人である村長による仕事斡旋であり、またその斡旋も自由意志で選択可能であった。どう見ても強制連行ではありません。
また、挺身隊としてと書かれていますが、朝鮮に国民徴用令が出されたのは1944年8月。しかもこのときは女子は対象から除かれています。一方で、この人物が日本に渡ったのは1944年3月~4月。しかも女子。どうやら挺身隊でもないようです。訴えの内容と証言が矛盾だらけです。本人も毎日新聞の記者もこれに気づいていないのでしょうか?
また、”「挺身隊」と「慰安婦」が誤解されるのを恐れ”とありますが、確かに、韓国内の出版物やマスコミでは、挺身隊=慰安婦と定義しているのが一般的です。そのため、この人物が誤解されるのを恐れたという考えはよく理解できます。
挺身隊と慰安婦はまったく別のものであることは、誰がどう調べても明らかな事実です。実際韓国内でもそれを理由で苦しんでいる人がいるのであれば、日本を貶めるために都合がいいという理由だけで、挺身隊=慰安婦と定義するような幼稚な歴史の捏造は止めたらどうなのか。この記事を読んでそんなことを感じました。
この第二次不二越訴訟は、昨年9月に一審で原告敗訴となっており、現在高裁にて二審が争われています。この人物はこんな矛盾に満ちた証言を本当に証言台で行うつもりなのでしょうか?またこれを聞いて裁判所はどんな判断をするのでしょうか。どちらにせよ、適正な判決が下されることを望みます。
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参考書籍:
韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30 (文春新書)
鄭 大均 古田 博司
在日・強制連行の神話 (文春新書)
鄭 大均
▽松田聖子の「青い珊瑚礁」で僕の音楽の聴き方が180度変わった話。 (2008/06/07 15:19:00)
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最近、若い頃聴いていた音楽の事を思い出す度に感じる事がある。それは、当時自分の聴いていた音楽のジャンルの狭さだ。
僕が中学生から高校の終りにかけて、聴いていたのは、アメリカやイギリスの一部のハード・ロックとプログレッシブ・ロックがほとんどで、高校も後半になって、若干のフュージョンと数組の日本のロックバンドを聴いた程度で、今考えてみると、
「似たようなジャンルの音楽ばっかり聴いていて、よく退屈しな
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今朝の産経新聞で太田誠一が今国会断念という発言をしたとの記事が報じられました。
市民の連帯の事務局のなかでもほっとしたとの声があり、皆さんもそういう方がおられるかしれませんが、油断大敵だとい思います。
決して太田誠一・古賀誠ら推進派議員や背後にいる部落解放同盟や自由同和会などが諦めたのではないということです。
今日は北九州市で自治基本条例の勉強会がありました。終了後懇親会があり多少、お酒も入ってお
▽『+1フットボール・マッチ』面白かった!!Body ... (2008/06/07 21:37:00)
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読者の皆様、こんばんは。
土曜日いかがお過ごしでしょうか?
今日は、昨日言っていた『+1フットボール・マッチ』を見てました。
中学3年からサッカーに興味を持ち、
その頃大活躍していた選手が出場していることが
何よりうれしかった!!
サモラノなんて40才越えていました。
年齢のせいか、あまり活躍してくれなくて残念・・・・
ですが、ダービッツはスゴイ!!
スピードや足さばき凄すぎです!!
日本はついて
▽・第二次不二越訴訟 朝鮮人の証言より ~暴かれた強制連行の嘘~ (2008/06/07 14:01:56)
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勤労挺身隊訴訟:深く刻まれた心の傷 羅さんにインタビュー /石川:毎日
◇涙ながらに半生語る
夢見て海を渡ったあこがれの日本は地獄でした--。太平洋戦争のさなか、「女子挺身隊」として朝鮮半島から強制連行され過酷な労働を強いられたとして、国と機械メーカー「不二越」(本社・富山市)を訴えた「第2次不二越訴訟」原告の1人、羅贊徳さん(79)が、控訴審第1回口頭弁論(先月28日)の証人として来日。毎日新聞のインタビューに答え、涙ながらに自らの半生を語った。後悔や後ろめたさにさいなまれ、深く刻まれた心の傷を今、見つめ直そうとしている姿があった。【澤本麻里子】
1944年3月、羅さんが15歳の時だった。村長から「日本にいい工場がある」と誘われた。書道や生け花なども教えてもらえるという。1カ月後、2年間の予定で地元から25人が旅立った。「両親は反対しましたが、技術を学んで、お金ももらえるという希望でいっぱいでした」と振り返る。
しかし、労働は過酷を極めた。「朝の8時から夜の8時まで休みなく働かされ、休日もありませんでした。機械の操作を誤って指を切断した子もいました」。粗末な食事。給料は支払われなかった。手紙は検閲され、苦しい状況を家族に訴えることもできなかった。
「1人が泣くと、みんなが泣きました」。日本語と朝鮮語で「いつか不二越去るでしょう」と願う歌を仲間と共に作った。今も覚えていると言って口ずさんだ歌は、哀愁の漂う心に染み入るようなメロディーだった。
ある日、父が亡くなったと電報が来た。「泣きながら帰りたいと訴えましたが、許されませんでした。『お前が帰ったって、父親は生き返るわけじゃない』と、冷たく突き放されました」。かわいがってくれた父の反対を押し切って日本へ来た後悔ばかりが残った。
「終戦直前、一時帰宅が許されました。母は私を見るなり、何も言わずに抱きしめて泣きました」。羅さんの目から大粒の涙がこぼれた。
戦後、結婚し、3人の子に恵まれた。だが、ふとした瞬間にあの過酷な日々を思い出す。家族には「挺身隊」を「慰安婦」と誤解されるのを恐れ、戦時中の体験は秘密にした。夫は00年に亡くなった。そんなとき、不二越の仲間と町で偶然再会。訴訟のことを聞き、闘おうと決意した。「強制労働の事実を認めて、きちんと謝ってほしい。それだけなんです」。まっすぐな視線で語った。
この不二越という会社が訴えられたのは実は二度目です。第一次不二越訴訟は、1992年に数人の朝鮮人と団体が訴えを起しています。一審、二審では原告敗訴。最高裁まで行きました。おそらくそのままでしたら、最高裁でも原告が敗訴し不二越側の勝訴で終わっていたと思われますが、2000年に和解金を支払うことを不二越側が決定し、裁判は終了しました。
これに味をしめたのか、私も不二越の被害者だったと、2003年に新たな原告団が結成され、再び同じ訴訟が繰り返されています。
おそらくこの毎日新聞の記者や証言をしている朝鮮人たちは、こんなに酷い目にあったのだ。日本政府や企業が訴えられるのは当たり前だ。とでも言いたいのでしょう。しかし、この記事の文章におかしな点がたくさんあることにお気づきでしょうか。
まず、記事の冒頭に”「女子挺身隊」として強制連行された”。とありますが、この羅という人の話によると、村長から「日本にいい工場がある」と誘われたとあります。しかも、「両親が反対した」とありますので選択の自由もあったのでしょう。明らかに、同じ朝鮮人である村長による仕事斡旋であり、またその斡旋も自由意志で選択可能であった。どう見ても強制連行ではありません。
また、挺身隊としてと書かれていますが、朝鮮に国民徴用令が出されたのは1944年8月。しかもこのときは女子は対象から除かれています。一方で、この人物が日本に渡ったのは1944年3月~4月。しかも女子。どうやら挺身隊でもないようです。訴えの内容と証言が矛盾だらけです。本人も毎日新聞の記者もこれに気づいていないのでしょうか?
また、”「挺身隊」と「慰安婦」が誤解されるのを恐れ”とありますが、確かに、韓国内の出版物やマスコミでは、挺身隊=慰安婦と定義しているのが一般的です。そのため、この人物が誤解されるのを恐れたという考えはよく理解できます。
挺身隊と慰安婦はまったく別のものであることは、誰がどう調べても明らかな事実です。実際韓国内でもそれを理由で苦しんでいる人がいるのであれば、日本を貶めるために都合がいいという理由だけで、挺身隊=慰安婦と定義するような幼稚な歴史の捏造は止めたらどうなのか。この記事を読んでそんなことを感じました。
この第二次不二越訴訟は、昨年9月に一審で原告敗訴となっており、現在高裁にて二審が争われています。この人物はこんな矛盾に満ちた証言を本当に証言台で行うつもりなのでしょうか?またこれを聞いて裁判所はどんな判断をするのでしょうか。どちらにせよ、適正な判決が下されることを望みます。
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参考書籍:
韓国・北朝鮮の嘘を見破る―近現代史の争点30 (文春新書)
鄭 大均 古田 博司
在日・強制連行の神話 (文春新書)
鄭 大均
▽松田聖子の「青い珊瑚礁」で僕の音楽の聴き方が180度変わった話。 (2008/06/07 15:19:00)
http://www.mailpia.jp/r/www.feedremix.jp/load.php?item=2591&link=http%3A%2F%2Ftosaoyaji.blog104.fc2.com%2Fblog-entry-176.html
最近、若い頃聴いていた音楽の事を思い出す度に感じる事がある。それは、当時自分の聴いていた音楽のジャンルの狭さだ。
僕が中学生から高校の終りにかけて、聴いていたのは、アメリカやイギリスの一部のハード・ロックとプログレッシブ・ロックがほとんどで、高校も後半になって、若干のフュージョンと数組の日本のロックバンドを聴いた程度で、今考えてみると、
「似たようなジャンルの音楽ばっかり聴いていて、よく退屈しな
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